ネット掲示板と投稿雑誌

2chでまたプロバイダごとの規制に巻き込まれた。
数ヶ月続いた規制が解除されたのが12月9日。
ほぼ1ヶ月の命だった。
もうここ数年、自由に書き込めるときよりも規制されてる
期間の方が多いような気がする。


2chを最初に見たのは'00年の1月か2月くらいだったと思う。
その年の5月に西鉄バスジャック事件が起こり、「犯行予告が
2chに書き込まれてるぞ」と聞いて、そのスレに朝まで
入り浸ったあたりからハマり始めた。


'02年の後半はずっとNHK実況板に常駐した。
深夜に環境映像になろうが砂嵐になろうが、書き込みが続いて
チャット状態になってるのが楽しかった。


'03年に入った頃にスレに貼られてたリンクから知ったチャットに
移動し、そちらに常駐するようになる。
同時期からプロバイダ規制が盛んになり、2chの客層も初期とは
違った、アングラ感の無い一般的な空気になってきたので
以前ほどには熱中しなくなる。


専ブラはLive2chを使っているのだが、書き込みログが'03年11月から
現在までのものが残ってる。
読み返すと全体的に恥ずかしい。いわゆる中2病というやつだ。
30過ぎてんのに。


もう2chも誕生から12年が経ち、すっかり老舗になった。
昔ほどに影響力も持ってないだろう。
若い人はどこに流れてるのか、ニコ動なのかモバゲーなのかそのへんは
よく知らないけれど、2chは新旧交代が行われず最初に参加した人たちが
そのまま残ってる感じで、匿名ながら高年齢化が匂ってくる。
30代じゃ若造扱いで、40代だって少なくない。
そのへんがインターネット第一世代だもんな。中にはその前からの
パソ通世代の人も生き残ってるだろうし。


2chみたいなのが出来る前は、投稿コーナーが充実してる雑誌がその役目を
担ってたんじゃないかと思う。
しかし雑誌のシステム上、発言へのレスポンスが2ヵ月後に掲載され、
更にそれへの反論がもう2ヵ月後。
ひとつの論争を終えるのに1年近くかかることもよくあった。
今ではネット掲示板で30分で結論が出る議題を、1年かけて語り合ってた。
そりゃ投稿雑誌もなくなるわ。


'84年の正月頃からファンロード月刊OUTを読み始めた。立ち読みで。
'86年夏にそれまで買ってたアニメージュをやめ、ファンロードを買い始める。
'87年には何度かハガキも掲載された。
当時中3。文章だけでなくイラストも載ったことがあるが、自分でも
見返したくないくらいひどい画力。
この話を以前、知人にしたところ「〇〇年△月号に××ってPNで載ってる
のってお前?」と、見事に発掘されてしまった。侮りがたし。


'88年に入ると、ファンロードをやめて月刊OUTに乗り換える。
しかし乗り換えた途端にOUTがリニューアルしてしまい、投稿したかった
コーナーを失う。
そのまま投稿熱も冷めるが、'94年になってようやく投稿を始める。
送り始めた最初から頻繁に掲載してもらえた。
常連になって名前も覚えてもらえたのか、雑誌の集会で初対面の人に
「会いたかったです!」と言われたりして、プチ有名人気分に浸る。
そんなモテ期も束の間。'95年5月号でOUTが休刊。


OUTの読者たちが作った同人誌に原稿を描いたりして、そんなことをしてる
うちにインターネットを始め、ネット掲示板に書き込んだり自分でサイトを
立ち上げたりしてたら、もうすっかり雑誌投稿のことは忘れた。


最近、週刊少年チャンピオンの投稿コーナーをなんとなく見たら
見覚えのある名前が。
信山★しんざん氏、OUTにもよく載ってた彼だ。
たしか直接会って挨拶したこともある。向こうは覚えてないだろうけど。
検索したら個人サイトを開いていて、そこに投稿履歴が書かれてる。
90年から始まり20年間、ブランク無しで多くの雑誌に投稿してるそうだ。
すごいなあ、三峯徹に続いてタモリ倶楽部で特集してもらってもいいくらいの
継続力だよ。尊敬する。


自分の描いたものが印刷されて全国販売される雑誌に載る喜び、これは
書けば必ず載るネット掲示板では味わえない気分だ。
長らく味わってない。
またどこかで載せてもらいたい。
2chが規制で書き込めない今こそ、そういうのを執筆するべきかも。